御祭神・縁起

霊山・八幡ケ山
↓当神社は「霊山・幡ケ山」に御鎮座いたしております。


↑山頂の大鳥居前 この奥に御正殿がございます

御祭神

 大物主大神  おおものぬしのおおかみ
 白峯大神  しらみねのおおかみ
 猿田彦大神  さるたひこのおおかみ
 大國主大神  おおくにぬしのおおかみ
 事代主大神  ことしろぬしのおおかみ


 御祭神である大物主大神様(おおものぬしのおおかみさま)は国開きに当たって植林・農業・殖産・漁業・航海・医薬・諸芸に至る百般の事業と生活全般に亘り指導された神様です。
 いわば「万能の神様」であり、頼りがいのある神様であられます。

 それだけに、我々の日常生活に深く結びつかれ、万民に慕われる 御神徳は幅広く、多くの信仰を集めております。

 
 約三百年前、当時の宮守・高原正信大人によって四国の讃岐・金刀比羅宮の御分霊を奉鎮致しました(縁起参照)。

境内社

神明社 天照皇大御神
天満宮 菅原道真公
恵比須神社 恵比須大神
祖霊社  代々神職・篤信家の御霊

縁起

                  ↓当神社参道入り口の由緒台に記載されている縁起


←当神社に奉納されている絵馬
(江戸時代)









起源は出雲地方の御社

 当神社は神世の昔から出雲地方に鎮座していた御社(おやしろ)が起源でございます。

600年前に当地に奉鎮

 しかし、約六百年前の南北朝・後醍醐天皇の時代、故あって越前の地に奉遷されたのが興りであるといわれております。社伝に依れば当時、出雲から安住の地を求めて日本海を北上、難関苦難の果てにこの地を定め奉鎮されたといいます。

高原正信大人が300年前に受けた神の啓示

 一方、江戸時代も下るにつれ、百年来の大雪や大飢饉に加え、為政者の過酷なる弾圧などが重なり、この地方の庶民は大変苦しい状況に陥っておりました。

 今から約三百年前、心を痛めた当時の宮守・高原正信大人は元文元年(1736年)はるばる讃岐・金刀比羅大権現(現在の金刀比羅宮=写真=)に詣で、幾日にも亘って一心に大権現様にお救いを求めました。

 はたしてある夜、「我を汝の地に祀れ」という神の啓示を受けたのです。

讃岐詣30年ついに御分霊を奉鎮

 正信大人は寛保元年(1741年)から安永元年(1772年)まで三十年以上の長きに亘り、毎年讃岐詣を行いました。

 そしてついに許しをいただいて翌安永二年(1773年)七月十日、幡ヶ山の山頂に新たに建立した御社殿に金刀比羅大権現の御分霊を奉鎮致しました。

 故に当社では毎年七月十日を例祭の斎行日と定めております。

■写真=右=は参道入り口の大鳥居につけられている「金刀比羅山」の額束(がくづか)