社報「金刀比羅」ダイジェスト


  社報「金刀比羅」
   当神社では広報活動の一環として、神社のニュースや
   お知らせ、神道の教えや講話などを満載した社報を年
   2回発行しています。それぞれ初詣と夏の「こんぴら
   祭り」に御参拝いただいた皆様にお頒ちしております。
   ダイジェストではその一部をWebマガジンとして紹介
   していきます。



平成27年7月10日発行 夏例祭特別号より
   焼き玉エンジンで日本海快走
漁は我が人生そのもの

 高松さんは現在八十八歳。終戦時、二十歳となり、漁師を志して底曳船に乗りました。

 代々船主の家として生まれ育ち、幼少より父や祖父の背を見て育ったと言う高松さんは父の面影そっくりの笑顔満面に話し始められました。

 春は三月頃よりサバ漁で五月六月が最盛期となり七月十日のこんぴら祭ぐらいまでは操業していました。それがすむと夏はシイラ網。「これは沢山獲った」と勇ましい。シイラ籠にどっさり積んで仲買に買い取られて行きました。

 九月からは底曳。秋祭が終わる頃からは待望のカニ漁にと変わる。

 高松さんはディーゼルエンジン、通称焼き玉エンジンを搭載した草分けという存在。氏は技術者を雇って地区に住まわせ、漁を体験してもらい、この地に相応しい改良を行ってもらったそうで、これが高松さんが行う漁に大変役立ったと言われます。
 
 神風(下り風)とも云われる南からの風(丹後半島の経ケ岬からの風)は恐いです。更に風が回り西風となったらこの辺は大シケとなるので、城ケ谷の船は 隣の小樟港に回避させて難を逃れるのです。船にはバルメタハリ(気圧計)=写真右=があるので、海水温度や雲行きなどと総合的に判断して注意していますが、一度とても怖い目に合った事もありました。
 
浜の賑わい 浜の生活 すべてが好き

 自分は越高丸(越前・高松の船との意味)父の高松春は日之出丸。祖父の高松亀之助は四方丸を営み、それぞれに船主の家として正月や地域の祭り、こんぴら祭りは心底楽しんでいました。歌う者有り、酒を交わす者有り、得意話で盛り上がる者有りで、幼少から海に対して憧れ、大人になって自分も豪快に海の仕事をしたいという一念でした。

 漁を終えて魚を浜に並べておくと、仲買人が港を次々と廻って来て買って行ってくれた。
 自分は浜が好き、浜での生活が好き、神様の御用をする事が有難いというのが強い思いとして代々教えられて来たと思います。

 ワカメの季節は川の一番高い所迄持ちあがって綺麗に洗い、また降ろして浜で干す。新芽の時期は暫くなので、懸命に労働しなければいけません。浜に並べたのを眺めるのが嬉しかったものです。浜におる奥さん方は昔は板を沢山買ってきて船が戻るまでにトロ箱を作って準備したり、出漁の前には弁当を詰めたり、祭りの時には酒宴の準備で忙しかったと思いますが、その賑わいもまた良かった。

 家にまで聞こえた大謀網の掛け声、越高丸を造った時、村中寄ってもらい餅を撒て賑やかだったこと、祭り囃子、笛の音。私はこの地区の全ての営みが本当に好きです。

                           (インタビュアー・高原正舟)