「こんぴらさんと越前焼」特集

   


    越前焼地元・小曽原に御鎮座するこんぴらさん

 今年(平成29年)5月に「日本遺産」のひとつに認定された越前焼

日本六古窯の一つに数えられ、歴史は古く、平安時代の頃から焼かれていたといいます。

 その地元が福井県丹生郡越前町の宮崎地区(旧宮崎村)小曽原。

 小曽原の中心部にある幡ケ山(はたがやま)に御鎮座するのが当神社・金刀比羅山宮です。



     源流の遺跡や登り窯「越南窯」もすぐ近く

 それだけに越前焼との関わりは古く、幡ケ山の北西側山麓には、越前焼の源流とされる福井県史跡「神明ケ谷須恵器遺跡」があり、また昭和51年(1976年)に著名な陶芸家・故加藤唐九郎氏の指導で作られた登り窯の「越南窯」(えつなんがま)も当神社近くにあります。

      陶芸村観光客の参拝や陶芸家の信仰も

 当神社のお隣に位置する越前陶芸村は昭和45年(1970年)に開村しました(左は陶芸村入り口のモニュメント)。

【右の写真は いいね!越前ロコ旅@越前町観光連盟さんより】

 陶芸村を訪れた観光客の皆様が当神社に足を伸ばし、参拝されることもしばしばです。

 また、毎年5月最終週の土・日・月の3日間、「越前陶芸まつり」が開かれます(平成29年は5月28日~29日)。
 陶芸まつりには大勢の焼き物ファンや観光客が訪れ、3日間で10万人の人出があるということです。

 また10月には「秋季陶芸祭」も開催され、芸術の秋にふさわしいさまざまなイベントが行われます。


 一方。多くの窯元も当地区周辺に住まいし、陶芸家の皆様からも信仰を集めております。

        
    
    

  

  



    

宮司旧宅で確認された6個の越前焼大甕




 当神社は幡ケ山の山頂に御鎮座しているため、古くから神職や参拝客の方々のためのお清めや飲料水として使う水は大変貴重でした。

 そのためいくつかの大甕(おおがめ)を山頂の神社境内や建物内に置き、重要な役割を果たしてきました。

 しかし戦後、昭和40年代に自動車参道が開通し、山頂への揚水施設が出来たことから、次第に使われなくなりました。

 その後、当神社の宮司旧宅の倉庫に眠っていましたが、平成21年(2009年)に、陶芸家の司辻光男氏がこの話を聞き、越前陶芸村の県陶芸館に連絡。

 学芸員の方が詳細に調べたところ、これらの大甕が江戸時代に作られた越前焼の大型の水甕であることが確認されました。

 これほどの大きさの水甕が一か所に伝えられている例はほとんどなく、貴重な発見となりました。

県陶芸館に展示された大甕…伝える新聞



 江戸時代のものと確認された当神社の大甕は越前陶芸村の県陶芸館に展示され、訪れた皆様が興味深く見入っていました。

 上の新聞記事は平成21年7月10日付福井新聞。

 越前焼の技術の変遷などを知ることができる貴重な資料であることなどが伝えられています。

大学生の皆さんのための見学会も



 当神社にはこれら越前焼の6個の大瓶のほかに、御神田で収穫された神米を計量する大型の枡(ます)やお盆、御膳など木製のさまざまな生活道具が保存されており、民俗学的にも非常に価値があるももといわれています。

 このため大学や研究機関からの問い合わせも多く、大学生の歴史ゼミのグループによる見学・説明会も行われています。

 上の写真は、神社を訪れた京都の大学生の皆さんを前に、当神社の責任役員で陶芸の専門家である川波太一郎氏が大瓶を前に説明しているところ。

 御希望があれば、こうした見学・説明会いたしますので、ご連絡下さい。

【この特集はさらに続きます。近くアップ予定】